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2016年10月16日日曜日


日曜日。

目の前をフリスビーが通過していく。

東京タワーがみえる公園。

家族連れで賑わっている。

赤ちゃんと目があうと、

しばらく凝視を頂戴する。

泣いてる子も一旦泣き止んで

確認するような顔をする。

髪型がめずらしいのかな?

日曜日の行楽地は、セットの中のようだ。

今に始まったことではなく、子供のころから。

家族で楽しい1日を過ごすという場合、

自分はどういう反応が1番好まれるのだろうかと

かんがえすぎ→楽しそうじゃない→

叱られる→みんな楽しくない・・・

いつのまにか、ふてくされてる子になっちゃった。

ふてくされてるところから笑顔になるのは、

ゼロからのジャンプじゃないから、大変なのにね。

いつも、マイナスからの笑顔。

22歳のころ、東京に来てから、

私にはひとりの時間が増えた。

いい子でいなくちゃっていうことを

気にしなくなったぶん

気楽にはなったけれど、

喜ばしい孤独も、

 苦しい孤独もごちゃごちゃにして、

孤毒という中毒みたいだった。

仕事で結果を出せないことで

自分のサイズが縮んじゃって、

毒が回りやすかったのかも。

だけど、心のなかを何度も凝視して

確認しつづけたおかげで、

気づいたことがある。

ひとりでいるときも、

誰かのことを想っているかぎり、

孤独とはいわない。

自分の歌の歌詞みたいだけど、

愛は空で、空は愛なのだ。

手をのばしたら、

いつでも愛しかない。


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