海辺の、目印のための十字なんだろうけど、私には心が休まる形、十字架。
休憩していいよーって、言われてる気がする。
実家のすぐそばにあった教会の屋根についていた十字架も、私にとってはそういう存在だった。
ある日、その教会に、雷が落ちた。
「十字架に落ちたらしいよ」と大人たちが言っていた。
ほんとか嘘かはわからない。
なんでも笑い話にしたり、内容を大きめにするのは、関西っぽい生活習慣だし。
だけど、「教会なのにね」と、皮肉っぽく笑っていた人の声は忘れられない。
今になって、そのことを思い返すと、災厄を被ってくれたのは十字架だから、やっぱり神様は偉大だと思っていた人もいたのかもしれないなあ。
心のなかに、いつでも生まれたての白い場所をつくっておきたいと思う。
言葉にすると、それは神聖というものかもしれないし、無垢と言われるのかもしれない。
理想は、それだけで心が満たされることなんだけどな。