夜のお散歩に出かけたら
シーンとしていた。
人通りも車も少ないし
「ザ・年末」という感じ。
ワクワクしちゃう。
映画のセットの中にいるみたいだった。
ノルマ分だけ歩いて戻る。
今年の総歩数は何歩なんだろうなあ。
先日、「風夢記」から先行配信された
「クリスマスのように」の一節
後ろでも下でも 進む道が
前なんだと信じて 生きる
命はきっと まるいかたち
転がるようにできているの
歌うたびに
ほんとそうだよねーって思っちゃいます。
私は目が悪いので
裸眼だと光はなんでも丸に見えちゃう。
そして思うのです。
みんなマルでできてるんだなーって。
目が悪いことは、嬉しくはないことだけど
それがこの曲の一部になったんだなって思うと
「まあ、良し。」と思えます。
きっとどの曲にもそういう「私だから」が潜んでる。
隠そうと思っても、染み込んじゃう。
できたらいいものを注ぎ込みたいなあと思う。
明日の夜は、みえちゃってるラジオ「奥井亜紀の手紙 年越し増刊号Vol.18」なので
2024年を振り返っておこうと思ってこの日記を読み返しておりました。
写真にAI画像を結構使っていて、そして作っていた時のカンドー!を思い出しました。
ということで、今日も。
先ほどの歌詞の部分だけをAIに託してみました。
なるほど!じゃないですか?
私は歌を書いた人間だからか
命の形を表現したくなるのだけれど
転がる道の方を描いてくれている。
(木は丸いところもいいなあ。それも命だもんね)
こういう立体人生ゲームとかあったら面白いかな?
物事がうまく転がらない時って
いろんなことがいびつになってる。
特に、心の方が。
まるーくなるまでお団子作るみたいに
その場でゴロゴロゴロン・・・
進むための停止は前進の一部なんだよね。
頑張り屋さんのみなさま
お正月、少しはゆっくりできますか?
ゴロゴロゴロン・・・して健やかな新年をお迎えください。
亜紀さんの歌詞が素敵で不思議で、造語が生まれたり、言葉のチョイスが「そうきたか!」ってなったりするのはやっぱり物の見え方が常人(?)とは違うんだーって思いました。A(k)I?