人生の節目のようなものは、ふり返ればいたるところにあって、ほんとうに竹の節のようにぼこぼことふくらんでいる。そこをさわると記憶のくせに、痛かったり、ただのふくらみだったり、なぜか温かかったり、色々だ。ふし。不死。ふしめは、節目であり、ずっと消えない不死目なのかもしれない。今年はデビューして25年目で、去年はアニメ魔法陣グルグルのおかげで、23年ぶりに「Wind Climbing 〜風にあそばれて〜」を新アレンジでリリースすることになった。先日、27日のイベントではアレンジしてくださったTECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUNDのみなさんと一緒に演奏して、たくさんのお客さまにも聴いていただけた。ただただ笑って、嬉しい、愛おしい記憶が増えて、私は幸せ者だなあと思った。 「Wind Climbing 〜風にあそばれて〜」は、2003年に、セルフカバーしている。「COCOROTO」というデビュー10周年記念のアルバムに収録したもの。私にとっては、明らかに大きな節目。レコーディングのときは、元気な曲ほど、アレンジに困った。私が元気な感じにしたくなかった(笑)から。アコースティックな編成にするいう決め事を設けたアルバムだったし、売れるとか売れないとかじゃなく、そのとき歌いたい心のテンポ、色合いでつくりたかった。仕事を辞めていた数年間、大事な人たちとの別れ、30代という年齢、心の中にはこれ以上何も入りませんというくらい、不安とかさびしさとか恐れとか、だけど前向きで強気・・・とにかくいっぱいいっぱいだった。歌を歌って生きていくんだという熱で自分が燃えそうで、体力はまったくないのに、前に前に!と思い続けていた。 アレンジとプロデュースをしてくださった弥吉淳二さんには、とっても苦労させたと思う。このアルバムの半分くらい、彼の編曲になっているけれど、どれもそれまでの私じゃやれなかったし、そのあとの私ではつくれないものになっている。特に「Wind Climbing」は、コードからごっそり変えてくれたから、外国の風の中で歌っているように仕上がった。 弥吉くんのギターの音を、ディレクターさんたちが“カミソリギター”と称していたのもなつかしい。私にとっては、激しいとか鋭いではなく、繊細な素材も切れる優しいカミソリであり、誰も切り込めないところに入っていく音を出す人だった。 曲の始まりのドアが閉まる音は、偶然入った音だったけど、素敵だったから採用した。そういう思いつきをそのままどんどんレコーディングしていくのも自由で楽しかった。無から有に成る瞬間は何げ無いところにあるんだと、教えられた。お腹がすいたら外に食べに行くのも、新鮮だった。なぜか、食べたものじゃなく、お店のまえのガードレールにもたれていたお互いの姿を覚えている。何より、弥吉くんの事務所の一室をレコーディング仕様にして録音していたから、秘密基地に出入りしているようで、毎日わくわくしていた。当時の写真をみたら、私は裸足になって、床に座りこんでいるものばっかり。恥ずかしいったら無い・・・。隣りで、黙々と粛々と弥吉くんはアレンジを考えていたり。 歌うと、いっぱいほめてくれたなあ。私はちゃんと感謝を伝えていただろうか。2歳年上なだけなのに、すごくしっかりしていて、頼ってばっかりだった。あれから15年近く。知らない間に、ずっとずっと先に行っちゃった。26日に、お亡くなりになったというお知らせをいただきました。
狙ったところに真っ直ぐ飛んでいくような音。
歌い手の気持ちを持ち上げてくれた音。
聴き直してみると、感謝と尊敬の気持ちでいっぱいになります。 [COCOROTO] 「Wind Climbing 〜風にあそばれて〜」 「0.99」 「Iのこころ」 「幸せのつくりかた」 「銀のスプーンで」 「しあわせのいろ」 「ゆきうさぎ」 どの曲も、10周年以降も歌い続けている曲たちです。 弥吉くんとつくったバージョンがあったから、曲に栄養が入って、今も元気に生きている気がします。 訃報を受けて、今の私をいつでもマルにしておきたいなあって思った。 それが、ここまで出会った人たちへの恩返しだと思うから。 あなたのおかげで今の私があります。 弥吉くんにも届きますように。
「しあわせのいろ」のレコーディング中。
テンポがお互いに「わかんないね、なんか違うよね」と、何度もやり直したんだよね。
左:弥吉淳二氏の背中。リストバンド、すごく覚えてる。