昔にくらべて、簡単に景色を記録できるようになったのは、人間が並んで同じ景色をみることができなくてもなんとかなるように、との計らいなのかもしれない。どうでもいいようなことでも、遠く離れた人とやりとりして、わかりあえたような気分になって安心を得る。誰かとちゃんとわかりあうことが大切なんだとずっと思ってきたけど、そんなことは永遠に確かめようがない。私に必要だったのは、安心。わかりあえたに違いないと思い込むこと。もし、わかりあえていなかったとしても、それは、2択のひとつを外しただけ。「それ、違う。こっち。」もうひとつを明確にみせればいいだけだった。


